ニッサン/ニスモは5日、今年のル・マン24時間に投入する3台ニッサンGT-R LMニスモのドライバーのひとりとして、松田次生の起用を発表した。それにあわせて、次生がル・マンへの思いや意気込みを語った動画が公開されている。



松田 次生(まつだ つぎお、1979年6月18日 – )は、日本レーシングドライバー三重県桑名市出身。

  • 愛車:スカイラインGT-Rを数台所有する他、エルグランド 、フェアレディZ 、C33 ローレル(MT換装ドリフト仕様)も所有している。

  • 趣味:鉄道模型

    • 地元三重テレビでのレギュラー番組への出演時や鈴鹿でのレース時には桑名の実家へ戻りNゲージの自作レイアウトで車両を走らせる。この自作レイアウトは鉄道模型専門誌やレース雑誌にも度々紹介された。また東京の自宅に居る時はレンタルレイアウトへ足を運んで車両を走らせる。最近はHOゲージにも手を伸ばし始めている。またとあるイベントに参加した当日が、ブルートレイン富士はやぶさ」の最終運行当日であった為に、トークショーで悔しがっていたという根っからの鉄道ファンである。最近はSUPER BELL”Zの野月貴弘とF1解説者の小倉茂徳氏と三人で『Project R and R』としても活動している。


 経 歴

  • 2006年にホンダ陣営から日産系のホシノインパル及びNISMOに移籍。2005年のシーズン・オフからF1(テストドライバー契約)やGP2IRL等の海外移籍を含め様々な噂が流れる中で、国内有力のライバルチームへの移籍という選択を行った。この移籍劇は、フォーミュラ・ニッポンやGTにおいて時折優勝するものの、まだ一度もタイトルホルダーに輝いたことが無いことが影響しているものと思われた。フォーミュラ・ニッポンにおいては、第5戦オートポリスで久々に勝利し、ドライバーランキングもチームメイトのブノワ・トレルイエについで2位となり、チーム部門でのタイトル獲得に貢献するなど一定の成果を上げた。SUPER GTでも第8戦オートポリスで勝利しており、オートポリスは鈴鹿と伴に松田次生の得意とするサーキットの一つとなっている。

  • 2007年は引き続き、フォーミュラ・ニッポンにはホシノインパルから、SUPER GTはNISMOから参戦し、フォーミュラ・ニッポンでは未勝利ながら初のシリーズチャンピオンに輝いた[1]

  • 2008年は、フォーミュラ・ニッポンのみならず、SUPER GTでもホシノインパルから参戦し、SUPER GTでは新規に投入されたGT-Rをドライブ。フォーミュラニッポンでは「0勝チャンピオン」と揶揄された前年から一転、開幕3連勝をふくめ圧倒的な速さでシリーズを支配した。そして最終戦前の第7戦富士史上初の2連覇を達成したSUPER GTでも、第6戦インターナショナルPOKKA1000kmと最終戦富士300kmで優勝を飾った。

  • 2009年も2008年同様にフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTともにホシノインパルより参戦した。フォーミュラ・ニッポンはこの年は苦戦し、わずか11ポイントでシリーズ11位に終わり、SUPER GTも未勝利に終わり36ポイントでシリーズ11位となった。

  • 2010年はホシノインパルの活動縮小のため、ついにフォーミュラ・ニッポンのシートを喪失した。しかしKONDO Racingのフォーミュラ・ニッポン復帰においてシートを獲得し、第4戦もてぎよりフォーミュラ・ニッポンの舞台に復帰し、第5戦菅生で久々のポイントを獲得した。SUPER GTでは第4戦マレーシアで08年最終戦富士300km以来の優勝を果たし、シリーズ5位となった。

  • 2011年はスポンサー不足から再びシートを喪失、ついにポイントレースで1度も走ることが出来なかった。しかしJAFグランプリ(富士スプリントカップ)では欠場したアレキサンドレ・インペラトーリに代わりスポット参戦、決勝レースこそスタート直後の接触でフロントウイング交換を余儀なくされたことで完走した14台中最下位に終わるも、フリー走行でいきなり3番手をマークするなど地力を見せた。また同年より、NISMOが開発を進めている日産・リーフ(レース仕様車)の開発ドライバーに起用されている。

  • 2012年は2009年以来3年ぶり(シリーズそのものは2年ぶり)にインパルからフォーミュラ・ニッポンにレギュラー参戦する。SUPER GTにも同じチームでGT500に参戦し, 第6戦の富士では独走で優勝を果たした(チームメイトはジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)。

  • 2013年は12年と同様にホシノインパルからオリベイラと組んでSUPER GTのGT500クラスに参戦、第3戦で優勝するもその後は表彰台獲得もなくランキング6位に終わる。

  • 2014年は7年ぶりにNISMOへ復帰、ロニー・クインタレッリと組んで参戦。第3戦オートポリスでシーズン初優勝を飾ると、次戦のSUGOではノーポイントに終わるもののその後の富士・鈴鹿と2戦続けて2位表彰台を獲得。ランキング3位で迎えた最終戦もてぎはポールポジションからスタートし、1周目でタイトルを争うジェームズ・ロシタージョアオ・パオロ・デ・オリベイラが接触するという荒れたレースとなったが、2位の伊藤大輔に50秒もの大差をつけて圧勝。ランキングトップだったロシターが10位に終わったため2000年(当時の名称は全日本GT選手権)の参戦以来15年目にして悲願のSUPER GT初タイトルを獲得、涙を見せた。