ニッサン/ニスモは23日、イギリス・ロンドンで記者会見を開き、2015年からWEC世界耐久選手権/ル・マン24時間耐久レースのLMP1クラスに、『ニッサンGT-R LMニスモ』という車名で参戦すると発表した。LMP1はル・マン24時間における最高峰クラスで、1999年以来16年ぶりに総合優勝争いに参加することになる。

 ニッサン/ニスモは今年、環境技術を志向したマシンのための賞典外の特別枠“ガレージ#56”からル・マン24時間に参戦。エンジン駆動時の蓄電後、ル・マンが行われるサルト・サーキット(13.629km)を電力だけで1周走行できる能力を備えた『ニッサンZEOD RC』を投入する。15年からのLMP1参戦にあたっては、このZEOD RCで培ったノウハウを活用するという。

Nissan’s ZEOD RC


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 歴代のルマンで使用したマシン― 1990年代から…


日産・R90CP

1990年ル・マンでは、ジャガーとともにこの年の優勝候補と目されていた日産はプライベーターも含め大量7台(Tカーを含めると9台)をエントリーさせた。R90CPもTカーを含む2台がル・マンに登場した。予選では長谷見が3:33.17を記録して3位の好位置につけた。決勝でも小さなマシントラブルに見舞われながらも当時日本車・日本人ドライバー最高の5位に入賞した。またR90CPはユーノディエールで最速の366km/hを記録。これはシケイン設置後のレコードで22年経った今でも破られていない。

エンジン VRH35Z 3,496 cc V8 2Turbo ミッドシップ


 日産・R91CP

1992年日産は1992年デイトナ24時間レースNPTI、ニスモ、ノバの3チームを送り込んだ。このうちニスモがR91CPを使用した。ドライバーは当初1990年のル・マンと同メンバー(長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男)を予定していたが、テストでデイトナのコースがル・マンよりもドライバーへの負担が大きいことがわかり、アンデルス・オロフソンを追加で登録した。しかしオロフソンが実際に走ることはなかった。

3番手スタートのR91CPはスタートと同時にトップに立ち、後続を引き離し独走状態になった。しかし夜になってタイヤカス、砂等でフロント・ラジエーターが目詰まりを起こし、マシンはオーバーヒート気味になった。このためピットストップ毎にフロントカウルを開けてラジエーターを掃除することになり、1回のピットストップ毎に30秒タイムをロスすることになった。優勝争いのライバルと見られていたTWRジャガーは脱落、NPTIは2台ともリタイアし、代わってヨーストのポルシェ・962CがR91CPを追い上げてきた。1日目深夜に3周あったR91CPとの差を2日目明け方には1周差まで詰めてきていた。しかし、このヨースト・ポルシェは2日目の朝7時頃電気系のトラブルでリタイアし、その後R91CPを追いかけるマシンはなくそのまま走り切って優勝した。

なお、同レースでの走行ラップ数(762周)は大会記録として未だ破られていない。

エンジン VRH35Z 3,496 cc V8 2Turbo ミッドシップ


 日産・R92CP

 1992年のシリーズでは、JSPCが最後の年ということもあり、どこまで予選用エンジンの馬力を上げられるかという挑戦が行われた。それまでの予選では1000馬力程度の出力で行っていたところを、推定1200馬力以上(ベンチ測定において計りきれない馬力であった)の出力を出して予選を行った。このエンジンを用いて、旧富士スピードウェイにて予選を行った際、超ハイグリップな予選用タイヤであるQタイヤを履いた状態でも最終コーナーで4速と5速でもホイールスピンを起こし、ブラックマークをつけていたそうだ。

後年に長谷見昌弘は雑誌のインタビューで「あのパワーはF1以上。こんな加速、スピードを経験したのは世界中で僕と星野の2人だけだろう」と語った。(JSPCは2人のドライバーがコンビを組んで行われるレースだが、予選のタイムアタックはそのコンビの内のエースドライバーが担当していた。日産はエースドライバーを23号車に星野、24号車に長谷見を充てていた。) 星野も、このエンジンのあまりに凄まじいパワーに「僕はこのエンジンですぐにはタイムアタックには入れなかった」と語っている(星野、長谷見の2人とも、10~20分程の心の準備時間を要するほどのパワーであった)。後年星野もイベントで、「予選が終わった時、やっとスピードの恐怖から開放されたと思ったよ。出来ればもう2度とあの車に乗りたくないね」と語っていた。

一説にはR92CPの予選エンジン搭載車が、旧富士スピードウェイにおいてスピードガン測定で時速400km以上を記録しているという。その事は林・水野ら複数の関係者が認めており、ほぼ事実と判断してよいだろう。もっとも、このことはドライバーへはその心理的負担を考慮して臥せられており、「最高速度は時速380kmくらい」と伝えられていたという。

また、当時NISMOの監督を務めていた水野和敏によれば、決勝での設定はドライバビリティを重視し(主に富士のBコーナーの立ち上がりでドライバーが安心してアクセルを踏めるようにすることが目的だったという)、エンジン出力は発表当初の900馬力より少ない状態にし、R91CPで約600馬力、R92CPでは約720馬力程度に抑えられていたとのことである。ドライバーの星野は「僕らのエンジンは、本当は5000cc位あるんじゃないか」などと述べていた。

R92CP以後1998年のR390まで沈黙期間に入ることに…


日産・R390

ル・マン24時間には1997年に初参戦した。予備予選ではポールポジションを獲得する順調なスタートであった。しかし、リヤトランクをメッシュとし、ギアボックスの冷却ダクトの内部に収容した構造が、現地でレギュレーション違反と指摘された。そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したが、ギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、結果は残せなかった。また、日産側とTWR側の連携コミュニケーションの問題も露呈した

1998年の参戦時には、1997年のマシンの弱点であったギアボックスの改善、ロングテール化などの空力改善、ウィリアムズF1チームからTCSやABSなどを導入するなどし、性能を向上させた。さらに日産とTWRの連携を確実にしてチーム体制を強化した。堅実なマシン作りで抜群の安定性をみせ、星野一義鈴木亜久里影山正彦の乗るマシンが総合3位を獲得しノバエンジニアリングからJOMOのスポンサードによってエントリーした前年度のマシンをアップデートさせた車両を含む出走した4台全車が10位以内で完走する健闘をみせた。

1999年にはGT1規定の消滅に伴いR390での参戦をやめ、オープントップのル・マンプロトタイプであるR391で参戦するも、電気系統のトラブルによるリタイヤに終わった。それ以降2015年まで再度日産はル・マンから遠ざかっている。

名機3.5L・V8ツインターボのVRH35Zをベースに開発されたVRH35Lが搭載


2015年から復帰する車名は…『NISSAN GT-R LM NISMO』を予定!!!


 

ニッサンGT-Rの“バリエーション”を紹介する図。当然ながら、ニッサンGT-R LMニスモはクローズドのクーペボディであることが分かる。

FIA世界耐久選手権(WEC)2台のLMP1(ル・マン・プロトタイプ1)マシンと共にワークスチーム体制で参戦します。日産のLMP1マシンの名称は、「NISSAN GT-R LM NISMO」を予定しています。30年に亘るモータースポーツの血統を引継ぎ、日産のフラッグシップモデル、「NISSAN GT-R」の名を冠します。

2015年からは…アウディ,VSトヨタ,VSポルシェ,VS日産の構図になり各3台参戦となるとワークスチーム12台+プライベートになり参戦台数が久しぶりの2けた以上になる。

スペックなど予想

エンジンはスーパーGTに使用している直列4気筒を2機で組んでW8気筒かV8気筒又はV型4気筒で排気量は約2500~4000CC、馬力(パワー)はエンジン630馬力+ハイブリット350馬力で合計約980馬力

ボディーは市販のGT-Rを意識してフロントとリアのテールランプとフロントマスクは再現をしてほしいです!!!