アイルトン・セナが1994年5月1日にF1サンマリノGPで起きた事故で早すぎる死を遂げてから、今年で20年。世界各地でこの伝説のレーサーを偲ぶ動きが広がる中、英の自動車メディア『XCAR』が若手時代のセナのレース映像を公開している。

1984年、ニュルブルクリンクGPコースのオープンを記念してメルセデス・ベンツがエキシビション・レースを開催した。当時F1にデビューしたばかりのセナは、このレースで9人のF1チャンピオンを含む20人のドライバーたちと対戦することとなる。その中には、’76年のF1世界チャンピオンであるジェームス・ハントや、レースが行われた’84年に3度目の世界チャンピオンとなったニキ・ラウダ、後年セナとライバル関係になるアラン・プロスト、さらにドイツ・ツーリングカーの名手たちがいた。

メルセデス・ベンツ「190E 2.3-16」のお披露目も兼ねていたこのレース。


アイルトン・セナ・ダ・シルバAyrton Senna da Silva1960年3月21日 – 1994年5月1日)は、ブラジル人のレーシング・ドライバーF1世界選手権において、1988年1990年1991年と、計3度ワールドチャンピオンを獲得した。

日本のメディア関連

  • フジテレビによる日本でのF1中継では、セナの名レース・印象的なGPとして話題に挙がることの多いGPは、三宅正治が実況を担当していたケースが非常に多かった。セナの最期のGPとなった1994年サンマリノGPも三宅の実況であった。一方で、セナと相性の悪いアナウンサーとしてよく話題に挙がるのは馬場鉄志であり、鈴鹿までチャンピオンの決定を遅らせたいフジテレビ陣営が直前のスペインGPに、1990年はコメンタリーブースに馬場の顔写真を国際FAXで送り貼り付ける、1991年にはスペインGPの実況にあえて馬場を選ぶということをしたという逸話もある。なお、90年は前走車のパーツをラジエターにぶつけてしまいリタイア、91年は5位入賞でチャンピオンに届かず、どちらも鈴鹿までチャンピオン決定がもつれこんでいる。ホンダ陣営も馬場との相性に関するエピソードを知っており、90年はFAXを見たホンダスタッフが「悪ふざけが過ぎる!」と本気で怒ったこともあった。
  • 1991年には週刊少年ジャンプ集英社)がマクラーレンのスポンサーとなっていたことから、35号から51号にかけてセナを主人公として同年のシリーズを描く『Fの閃光-アイルトン・セナの挑戦!!-』(原作: 西村幸祐 画: 長沢克泰・鬼窪浩久)が連載された。
  • 1992年、日本GP直前にフジテレビのバラエティ番組やニュース番組に生出演。「笑っていいとも」の収録後、セナの出待ちをする人込みで新宿アルタ前が一時騒然となった。
  • 1993年、日本GPの来日時に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」内の「生ダラCART GP」にゲスト出演し、石橋貴明アイルトン・タカ)・定岡正二とカート対決を行った。撮影ではコースを逆走したり、石橋を真似て「シェー」のポーズをとるなど終始リラックスしていた。レース後、石橋から「鈴鹿で優勝した際のヘルメット」のプレゼントを頼まれ快諾したが、約束通りヘルメットが届けられたのはセナが事故死した直後となった。

 

アイルトン・セナ

Ayrton Senna 8 - Cropped.jpg

基本情報

フルネーム

アイルトン・セナ・ダ・シルバ

国籍

ブラジルの旗 ブラジル

出身地

ブラジルの旗 ブラジルサンパウロ

生年月日

1960年3月21日

没年月日

1994年5月1日満34歳没

F1での経歴

所属チーム

’84 トールマン
’85 – ’87 ロータス
’88 – ’93 マクラーレン
’94 ウィリアムズ

活動時期

1984 – 1994

出走回数

161

優勝回数

41

通算獲得ポイント

614

表彰台(3位以内)回数

80
ポールポジション65
ファステストラップ19
初戦1984年ブラジルGP
初勝利1985年ポルトガルGP
最終勝利1993年オーストラリアGP
最終戦1994年サンマリノGP
タイトル3 (1988, 1990, 1991)
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